マルセイユ・タロットとは何なのか?
いわゆるマルセイユ版の「マルセイユ」とは、あくまでもタロットの一定のスタイルを指すことばであり、あの地中海沿岸のマルセイユ地方産を意味するわけではありません。
代表的な作者にはフランス北部・パリのジーン・ノブレ(1650年頃)、南東部・リヨンのジーン・ドダル(1701年頃)、やはり南東部・アヴィニイヨンのジーン・ピエール・ペイアン(1713年)、中部・ディジョンのピエール・マドニエなど、当初はフランス一帯にマルセイユ版のメイカーが点在していたのです。
そんな中で、マルセイユ地方で活躍したニコラス・コンバー(1760年)のタロットが注目され社会現象となったことが、一連のメイカーが輩出した一定の絵柄のタロットに「マルセイユ版」という呼称が与えられるに至ったのでしょう。1800年代に入ってからはスペインにおいても「マルセイユ版」が発祥しています。
「Tarot of Marseille/マルセイユ・タロット」とはじめて表記したのが、一説によるとフランスのタロット研究家ポール・マルトー(Marteau, Paul 1885-1966)、かの有名なフランスのカードメイカー、グリモー社の創設者パティスト・ポール・グリモー※(詳細後述)の曾甥にあたる彼でした。
ポール・マルトー(Marteau, Paul 1885-1966)
タイトル:「ド・マルセイユ」と呼ばれるイタリアのスートの「タロットデッキ=ニコラ・コンヴェルのタロット」をモデルに刊行された
出版:マルセイユ:[A.カモワン]、[1890年から1900年の間]
説明:78枚のカードの1セット:ステンシル木版画。12.1 x 6.3 cm
ノート:四角い角。- 赤いグリッドのタロットバック。- 1890年の青い納税印紙のエース。- 「N.as Conver // 1760」とデナリの2。-イニシャル 戦車の紋章に「VT」。- 手書きのメモとインクで書かれたヘブライ語の文字 切り札のタイトルに追加され、それぞれの占いの範囲を示しています
参照:トランプ:ポール・マルトー氏による国立図書館への寄付、 メートル・カルティエ、1966年6月/ジャン·ピエール·セガン、411 =セガンによって書かれたカタログ、 ポール・マルトー、411
類型:カルタ
保管場所:【ポール・マルトー・コレクション。徴収。【トランプ】 フランス国立図書館に飛びます
バティスト・ポール・グリモー(Baptiste-Paul Grimaud – )
Wikipediaより
バティスト・ポール・グリモー(Baptiste-Paul Grimaud、日 – 日)は、フランスのトランプ製造業者。
バティスト・ポール・グリモー、通称メートル・カルティエ・グリモーは、パリの貨物輸送業者でしたが、1851年、アレクサンドル・ウジェーヌ・マルティノーとマルセル・ブールらのトランプ工場を買い取り、彼は様々な会社を吸収し、成長していきます。甥のレオ・マルトーとパートナーシップを組み、「マルセイユのライバルであるカモワンの資本の大部分を占めている」という記述がwikipedhiaにあります。
今日のカード・メイカーとしてのグリモー社は、1865年にパリのボンディ通りから始まり、ランクリ通り52番地にはアールヌーボー様式の工房を、そしてグリモーの邸宅も建てられました。バティスト・ポール・グリモーは、カッティングマシンと、彼の右腕であるフェリックス・シモン(アーティストのビジョンを翻訳する彫刻家)の助けを借りて、彼の職人技の印刷技術を開発するために働きました。彼の死後は、レオとジョルジュ・マルトーが後を継ぎました。ジョルジュの死後、1962年にジャン・マリー・シモン(La Ducale)がグリモー社を購入しています。

Tarots of MarseilleとTarots of Marseilles
今日国内で出回っているマルセイユ版タロットのパッケージには、英語表記でTarots of Marseilleとなっている場合と、Tarots of Marseillesとなる場合とがあり、これについて、マルセイユ版にも異なる種別があることの表れであるという説がありましたが、後者のようにマルセイユに複数形がつく場合は、もともとスペイン語で表記されたマルセイユ”Marsella” が「マルセイユの」と所有格的に英語に訳される際に起こる現象であるとのこと。
現在となっては、タロット発祥の場によらず、一定の絵柄のスタイルを指して「マルセイユ版」と名づけられていることが明確になっているため、「マルセイユ版」としての表記を統一したり、マルセイユ・スタイル・タロットと表現するようにするのもひとつの方法ではないかという指摘・提唱もあります。