現存する最古のタロット再考 

♠推定1428年 ヴィスコンティ公爵のために描かれたタロット登場

※本ページは、「タロット解釈実践事典」「タロット象徴事典」「タロットの歴史」他、ナディアオフィス刊行のタロット日本語解説やストリートアカデミー用に作ったテキスト等の引用抜粋で構成されています。

第三代ミラノ公フィリッポ・マリアヴィスコンティは、美しく優れた公国造りを目指した一方で、「偏屈な変わり者」が多い王侯たちの中でも極端な存在で、占星術は信じるが人は信じないと言われた公爵でした。

最初に妻としてめとったベアトリーチェは、父親の片腕だった有力者ファチーノの妻で、これはファチーノ亡き後の政略結婚でした。20歳も年上でありながら、夫を立て甲斐甲斐しく尽くすベアトリーチェをフィリッポは信頼し、彼女が毒味をした食事にしか口をつけないほどでした。ところが結婚10年にあたる1418年になって、突如としてフィリッポはベアトリーチェとお付きの若い音楽家との不倫を疑い出したのです。2人共々拷問にかけたあげく処刑してしまうなど狂信・暴君ぶりをも発揮しています。

(以上「タロットの歴史」より)

(上「CYヴィスコンティ・タロット日本語解説書」より抜粋)⇒すみません、画像にするとやはり文字が読みづらいですね。もうちょっと考えます。

その後、若く愛らしいサボイ家のマリアを後妻に迎え、2人の間に大きな波風が立つことはなかったとも、フィリッポがマリアを専用の城に幽閉状態にしていたとも伝えられています。

そんなフィリッポの命で作成されたという現存する最古のタロット、通称「ヴィスコンティ版」が推定1428年この世に登場しています。

関連ページ:現存する最古のタロット 3種のヴィスコンティ版

 

各ヴァージョンの時代検証については研究家により諸説ある中、キャリー・イェール・パックの「恋人たち」の絵柄に描かれているパラソルに、ヴィスコンティ家の蝮(まむし)の紋章とサボイ家の十字の紋章が見られることから、この絵札がフィリッポとサボイの結婚を記念して作られたものとし、2人が結婚した1428年を推定制作年とする見解が受け入れられています。

もう一度書かせてください。再考しているのはこの箇所です。

そんなフィリッポの命で作成されたという現存する最古のタロット、通称「ヴィスコンティ版」が推定1428年この世に登場しています。

 


♥最古のタロットその2 推定1450年 公女ビアンカ・マリア・ヴィスコンティのために描かれたタロット登場

フィリッポは嫡出子に恵まれず、愛人のアグネス・マイノとの間に娘ビアンカをもうけています。フィリッポは、ビアンカに当時の先端をいく人文教育を受けさせていると伝えられています。古い情報は、愛人とその娘ともども別宅に留め、貴族的な生活をさせなかったような記録も散見されますが、実際のビアンカがどうであったかは、論争の余地がないようです。

(ストリートアカデミー「タロット日曜美術館」資料より)

ビアンカが9歳になった時、フィリッポは彼に仕える傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァとビアンカを婚約させています。もともとフランチェスコの父親が非常に優れた傭兵隊長で、「Sforza/スフォルツァ(力ある者)」の称号を与えられた人間で、これを公式に家名としたスフォルツァ家最初の人物だったのです。美しい話にも聞こえますが、たった一人血筋を受け継いだ娘をとある資料の中では「くれてやる」発言……Oh my go!

婚約からさらに9年が経過した1441年にビアンカとフランチェスコの挙式が執り行われ、新婦は18歳、新郎は40歳になっていました。そして6年が経ち、1447年8月13日にフィリッポは57歳でこの世を去ります。その後継者の地位をめぐり、フランチェスコは他のヴィスコンティ直系の一族相手に苦戦を強いられました。

1450年、フランチェスコはようやく抵抗勢力を武力で制し、自らの力で第4代ミラノ公に即位を果たします。多く世襲が織りなす歴史の流れに、身分の低い傭兵から公爵に登りつめた彼の存在は彗星の如く当時の人々の心に光とともに刻まれました。ヴィスコンティ家のすべての紋章はフランチェスコ・スフォルツァに引き継がれ、彼は人生の残りの16年間をミラノの和平と効率的な統治に捧げたのでした。

フランチェスコ・スフォルツァがミラノ公としての爵位を引き継いだことを祝して、あるいは、フランチェスコ・スフォルツァからビアンカ・マリアへの結婚10年を記念した贈り物であろうと考えられている新たなヴィスコンティ版が作成されています。

ヴィスコンティ版ピエールポント・モルガン・ベルガモ・パック「恋人たち」(復刻版 175 × 87mm

欠損した札を補い、標準的な78枚のセットとして復刻されたタロットがイタリアやアメリカのカードメイカーから販売されており、誰にでも入手することが可能です。

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このヴィスコンティ版は「ピエールポント・モルガン・ベルガモ・パック」と呼ばれる、大アルカナ18枚と小アルカナ56枚、総計74枚のセットです。標準的な78枚のセットから4枚が欠損しているのみで、ほぼ完全に近いものとして、キャリー・イエール・パックと並び、こちらも最古のタロットの地位を獲得しています。

実物は、ニューヨークのピエール・ポント・モルガン図書館とイタリア、ベルガモのアカデミア・カルララ美術館と他数か所に分かれて保管されています。

 

他にもヴァージョン違いのヴィスコンティ版がロンドンやロサンゼルス等各地で保管されており、総勢9種類のヴィスコンティ版が確認されています。すべて枚数、大きさ、スタイルもまちまちで、絵札にはタイトルすら振られていません。

※欠損している絵札について、本書では、現在の標準的なタロットに従った配列で復刻され流通しているパックの絵札で補っています。別の箇所で入れるか

一説によると、人物札はすべて実在したヴィスコンティ一族の特定の誰かを表しているともされています。

注目すべきは、ヴィスコンティ版の絵札には、札を壁か専用のカードボードにピンで留めていたと推察される「穴」が見られる点です。

当時のタロットはテンペラ画という、画材に卵やハチミツなどを用いる手法で、厚いカードボードに描かれた油絵の類でした。

いまでこそ上質紙で量産されているタロットで、卓上でシャッフルすることが可能ですが、その種のカードではなかったことがわかります。先述した「絵を読み解く宮廷遊技」が彷彿とするところでもあり、また、祈りやまじないをするためのものだった可能性も否定できないところです。

LEAD Technologies Inc. V1.01

LEAD Technologies Inc. V1.01

CYヴィスコンティの特徴は、何といっても「女騎士」の札です。

最愛だったはずの奥方に濡れ衣を着せ処刑してしまうようなフィリッポ・マリア・ヴィスコンティという公爵は、果たしてこのように一族の女性らしき象徴を絢爛に描く、ということをするような人物なのだろうか、つまり、ヴィスコンティ・タロットのオーナーなのだろうか……?

他方、一人娘のビアンカのほうは、この当時のミラノの文化的活動の中枢に居た彼女なのですから、一連のタロット制作プロジェクトの総指揮官として腕を振るった可能性は十分にあるところではあります。

改めてビアンカ・マリア・ヴィスコンティの生涯をたどってみるにつけ、なかなか壮絶な生い立ちの持ち主――実の母親から早期に引き離され、宮廷で育てられたことがうかがえ知れます。9才の時にすでに政略結婚の、政治の道具として扱われた公女、ビアンカの心中は、公爵に対する心情は、物心ついたときからこの宮廷で一体どのようなものだったことでしょう。

ヴィスコンティ家ゆかりの絵柄とも言われる不思議なアルカナの数々には、女性の憂いや反骨心にも似た情感を筆者は感じておりますが、皆様はいかがでしょうか? 

引き続き、やままりとともにタロット・パラレルワールドもつむいてまいりたく存じております。

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