1700年代のカード文化、タロット、異教の発達
クール・ド・ジェブランのタロットエジプト起源説?
- アントン・クール・ド・ジェブラン/Antoine Court de Gébelin
- 1725 年 1 月 25 日-1784 年 5 月 10 日)
- フランス、ニーム生まれ。 著述家、元プロテスタント牧師。 フリーメイソン※団員で、タロット研究で知られる。 啓蒙思想家らとの親交もあり。 父親もプロテスタント教会の改革派として活躍。
- 1771年にフリーメイソンのロッジ Les Amis Réunisに入門。以上Wikipediaより
※フリーメイソンについても項目を立ててまいりたく
1781年 ジェブランの「原始世界/Monde Primitif」刊行
- ジェブランは、当時流通していた「タロット」を解説していますが、ネット上にも散見される原書の挿絵や文書は、タロットの歴史や図像的なシンボルの研究書の内容ではなく、かなりおおざっぱな印象です。なんと言っても日本で言えば江戸時代の書物に、多くを求めるのもおかしな話。現代人だってタロットの起源など解らないのです。
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タロットとは古代エジプトの僧侶が教義を密かに伝えるために考案されたものなのだろう
- ジェブランの上記ばかりが誇張されがですが、下記をまず抑えておきませんか!
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古代エジプトの魔術を研究するフリーメイソンの活動の中で、ジェブランは大アルカナ22枚の神秘を、エジプトで神聖数であった7の倍数に特殊な切り札1枚加えたものとしてひも解き、小アルカナの4スート(王、女王、騎士、小姓)もエジプト社会の階層や経済を表したものだと紹介している。
- 「エジプトで神聖数であった7の倍数に特殊な切り札1枚加えたもの」という思想をむタロットだという見方は未だ研究過程にあり、マルセイユ・タロットの札構成おいては重要部分。
古代エジプト~オカルトとタロット
そもそもにあった、西洋(Occident/オクシデント)人の、東洋(Orient/オリエント)世界に対する憧れとコンプレックス・・・魔術的な力をになう謎の東洋人を表現するのに、「漆黒の長い髪の人」と言えば十分だというほどに。
こと文明の発祥、魔術の起源、全人類の魂のメッカとも言える、古代エジプトです。魔術的な祈りにはじまり祈りに終わったという王家の一族はすでに人間の生と死、死後の世界について一定の思想をもつスピリチュアリズムの先駆者でもりました。史実とファンタジーが入り乱れる華やかで絢爛な歴史ミステリーの世界・・・映像作品やエンタテイメント世界ではドル箱の鉄板。ピラミッドパワーにヒエログリフペンダント・・・そんな形で昭和の時代に私たちの国に入って来た「オカルトブーム※」でもあるのでしょう。
※オカルト についても項目を立てていきたい所存 一応の用語解説
古代エジプトの神秘性に対して、羨望と畏敬が高じるも、キリスト教文化が社会の土台となる西洋圏では、表のキリスト教V.S.裏のオカルト、そんな思想のせめぎ合いが一種、社会現象として、特に中世以降かもしだされており、そのオカルト的一派としてのタロット文化、占い文化があることは忘れてはならないところ。
1400年代中期には、イタリアでは教会からの風紀を乱すものとしてカードおよびゲーム禁止令あり、1700年代初頭、フランスでは政府による税制改革によってカード業界が締め付けに合い、いよいよ1789年のフランス革命期には、カード占い文化は最高潮に盛り上がりを見せています。
歴史をたどれば、私たちの日本国内でもキリシタン弾圧事件が多発した時期。
それはさらに古代ギリシア・ローマにさかのぼって、政治的・経済的な圧迫が強く重税や病苦が顕著だったところで、「異教」が発達しているという報告がなされています。当時の日本で隠れキリシタンは一種の異教徒だということはご理解いただけるところかと。
支配者階層が敬うような神からは救いを得られないと、救済を求めて、人が一抹の希望を異教のカードに託する・・・そんなカード文化の流れに、目を背けてしまうのも問題ではなかろうかと。
そういう経緯があって、タロットとオカルトはつきもののようにとりあげられてしまうわけなのです。
ジェブランが、エジプト起源を語り、その流れで魔術やオカルト愛好家がタロットのイメージを育てあげたというだけでは、雑過ぎるでしょう。オカルトとは、異教とは何なのか、何故なのか? ここを引き続き追及してまいりましょう。
タロット愛好家する仲間たちの中では、タロットの持つ、またはタロットに期待されるオカルティックなイメージにあまりいい顔をされない傾向もあるのですが、私自身は、古代エジプト~中世近世ヨーロッパのオカルト文化にもチェックを入れるべく余念がありません。
ともあれ17000年代のジェブランの書物は、タロットが広く大衆に知れ渡るきっかけでもあり、彼あってのタロット文化でもある、重要人物でまた重要な文献であるわけですね。
さて1700年代と言えば、フランスを中心にカード占い(カルトマンシー)が盛況を極めます。とくに1700年代後期に集中している理由として、フランス革命の影響は注目のしどころ。
当時の注目と言えば。。こちらをスルーするわけにはいきませんでしょう。
1772年 マリー・アン・ルノルマン誕生
- 宮廷占い師、あるいは「宮廷の魔女」、フランスではマドモアゼル・ルノルマンでお馴染み、カリスマ・カルトマンサー ※用語チェック マリー・アン・ルノルマン/Marie Anne Lenormand(1772~1843 年)Wikipediaより
- 幼少期にそのたぐいまれな才能ゆえ、両親にさえ恐れられ、修道孤児院に入れられた
- やがてはパリ屈指の有名占術家に。優れた手相見、星読みとしても知られていた。著書多数。
- エッティラ※の占いを体験した3 年後、彼女は独自のサロンを開く。マラー、ロベスピエール、サン=ジュストなどフランス革命に影響を及ぼした男性3 人を占い、命運を的中させた。
※エッティラについても項目を立てていく所存
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軍人ナポレオン・ボナパルトの城にも出入りしたに出入りし、ナポレオンとジョゼフィーヌ婦人の結婚を予言。見事、ジョゼフィーヌがフランス王妃の座を手に入れたことで、ルノルマンの名声・人気が急騰。続いて、ナポレオンがフランス第一帝政の皇帝に即位することも的中させている。
宮廷サロンの華と化したルノルマン婦人は、パリ市警からも一目置かれ記録を取られたが、ある日ナポレオンがジョゼフィーヌの浅はかな言動がもとで離婚を言い渡されるだろうと予言。ナポレオンは脅威を覚え、1809年12月11日にルノルマン婦人を投獄・・・彼は、自分の行く手をこのカルトマンサーに阻まれることを恐れたとのこと。結局、幸か不幸か、ナポレオンとジョゼフィーヌの離婚は成立。投獄から22日後にルノルマン婦人は釈放されたのでした。
数多くの占いについての著作物を書き残している婦人ですが、近年彼女特有のルノルマン・カードによる占いについての記述がもっぱら注目されており、そのカード占いのメソッドは占い愛好家必見の価値ありと謳われているのです。
(ナディア・オフィス「Oldstyle Lenorman日本語解説書」より
ルノルマンカードとは
- 当時フランスのトランプは「ピケ(Piquet)」 と呼ばれる52 枚、ないし36枚か32 枚のセットになっているものが主流でした。婦人は当初36枚、後に52枚のピケによる占いを手掛け、様々な占法を編み出し、多くの書籍にして発表しています。
- 霊媒師的なインスピレーションではなく、彼女のロジカルな使用法に、世間は大いに共感したとのこと。ルノルマンのカードは後に「Sibyl:シュビラ(ギリシアの巫女)・カード」とも言われるようになりました。
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ルノルマン・カードには2つのバージョンがあり、ひとつは彼女がジプシーから授けられたと言われるパックで、もうひとつは、修道孤児院で育ったルノルマン婦人が16才になり自宅に戻った際、家の中でたまたま見つけたトランプを元にイメージを作り上げたというルノルマン婦人のオリジナル・パックです。
ルノルマン婦人が活躍した時代は、ちょうどタロットの名盤・マルセイユ版の発祥と拡大の時期に当たります。しかし、ノルマン婦人が用いたカードはタロットではなくいわゆるトランプ。
当時トランプを扱うカルトマンサーの絵画が多数残されていることもまた事実で、いわばタロットよりもポピュラーであったトランプ占い=ルノルマンカードだったのです。
では最後に、ルノルマンカードの流れをくんだとも言われるコーヒーカード占いも、動画でお話しているものから紹介してまいりましょう。
1790年代のコーヒーカード
1796年イギリスで刊行されたコーヒーカードの原本が大英博物館のデジタル書庫で一般に公開されています。動画の中で、「1794年ドイツにあったんですね」と触れたつもりが、「1740年」と発言してしまい、それをまたXでポストするなど、私も問題行動をしでかしてしまい、Xにて深くお詫び申し上げました。
その際、「1794年ドイツ、云々はあくまでも広告文で、商業的なあおり文句では」というご意見も寄せられました。
赤い丸の部分がそのPreaface:序文の前に来ているアドヴァタイズメント=前広告文です。
WIENNA=ウィーン/Wien、といえばオーストリアですが、ここでは「ドイツの」と表記されており、当時のドイツと言えば神聖ローマ帝国なので、Holy Roman Empireではないのかな・・・私が当時の地理・歴史に完全にうといため、急ぎその部分はWIENNAのママでございます。
※Akiさん情報では、小都市国家の集合体となる神聖ローマ帝国/Holy Roman Empire of the German Nation なので「ドイツのウィーン」は普通にアリなのではとのこと。
確かに、広告文に登場している1794年のドイツのコーヒーカードなるものは現存しておらず、存在を証明するものは何もありません。
それはカード文化においてはめずらしいことではなかろうかという私の中での自然の判断もあり。
一方で、広告文は演出であって、ドイツの女帝が愛好したというのはこの書物の中だけの作り話=今となっては、コーヒーカードはイギリス産→イギリス起源なんですよという風潮にも、もっていきやすいところとなります。
いえ、本当にコーヒーカードがイギリス起源なのであれば、そのエビデンスはすごく、私にとっても魅了されるものなのです。私めはそちらを所望いたしましたが、どなたもまだ、情報共有いたしてくださりません。
ないものの証明、これは難しいものです。ですが、ここが調査・研究の価値あるところなのではないでしょうか。
下記タロット研究では第一人者のメアリー・K・G女史のコーヒーカードに関する文書でも、その広告文書に触れていますが、ひとつの歴史的な情報としての年代表記としてみなしており、決して商業的なあおり文書の扱いにはなっていないことをお示しさせていただきまして、今回はここまでといたします。
カードの歴史も別ページでございます。1600年代以降、ドイツ、オーストリア、スペイン他、カード文化は活性化しており、とてもイギリスの出版社が独自に開発した遊戯カードだというとらえられ方はなされていないようです。
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井上教子/ステラ・マリス・ナディア
次回予告
現存する最古のタロットは中世貴族社会発。芸術作品とおぼしき(明確にはまだ何も解明されていませんが)してのタロットが、近世の中層階級の人々によって、量産化され、サブカルチャー化が加速。タロットにはオカルト的なイメージがつきものとなり、今もなお根強くタロットはオカルト的な怪しげな扱いをされる傾向が見出されるわけですね。
ここはもう少し深めていきたいところです。占いや魔術といったオカルティックな使用法に魅せられているタロットファンもいらっしゃることでしょう。
『「タロット」なんて、郵送物の中身として表記しないでください!』 OH、my! ショップに対してしばしばお叱りの声をお届けくださる方もいらっしゃり。なかなかこういったものを趣味や仕事にしているということさえもはばかられる現実社会 ― どうもまだまだ、表の世界のものではないようです。
一方、タロットはアートであり、心の癒しツールなのだという方も、身近には多数いらっしゃります。
引き続き、「タロット」の魅力のヴェールを解明してまいりましょう。
時代の流れとともにタロットを今後も紹介してまいります。ご意見ご感想ご要望何なりとお寄せいただければ幸いです。この流れで、
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